充分過ぎるぐらい大人

また歳を重ねたのである


「歳取ったなあ」と事ある毎に感じることが増えたが

「大人になったなあ」と思うことはほぼないに等しかった


そもそも「大人」とはなんだ


最近、相方と

近頃の子どもは私たちの子どもの頃とはだいぶ違うという話をよくする


飲食店で見かける子どもはゲーム機やスマートフォンに夢中になっている姿が多く見られ


公園で遊んでいる子どもはストローではなく

剣やスティックからシャボン玉を出し


登下校する子どもは

ランドセルは色とりどりでキラキラ

手足は長くおしゃれ

ベイスターズキャップを無料でもらい

ベイスターズ選手が食べている青星寮のカレーが給食に出るらしく

幼稚園で英語を学び、小学一年生でパソコンの授業があるらしい


なんだか気後れしてしまう


羨ましいというより、大変だなあと思う

最近の子どもは…

と、いってもわたしが小学生の時も充分大変だった気がするが…


さて、「大人」とはなにか


大人=落ち着いた、精神的に安定していて信頼できる存在

そんなイメージが湧くが

実際、そんな大人はあまり周りに存在しない



そこで

よくこのブログにも登場する

重松清先生の小説に出てくる大人の多くが

わたしと同世代なので

大人とは…という事が書かれた文章をまとめてみた

以下


・大人になると後悔は増えるんだ

・子どもの「もしも」は未来に向いているが、大人の「もしも」は過去に向いている

・僕は今、将来が怖い(中略)

40歳を過ぎて出くわしてしまった怖いものは、虫のように草むらに去ってはくれない。

お化けのように夜が明ければ消えてくれるわけでもない。

僕の目の前にずっと居座っている。

こっちが逃げても逃げても、前に回り込んでくる。

・おとなになった僕は、もう怖さに負けて涙を流したりはしない。

ただ、途方に暮れるだけだ


そして極めつけのこれ


・親や教師はお手本なんかじゃない。

ただ、オトナなんです。

努力や我慢がほんとうは報われないことをコドモより知っていて、でも、いつか報われるんだとコドモより信じてて……信じたいですよね、僕ら……」


これらの言葉に悶絶するほどの痛みを感じるわたしは充分に大人なんだなと思った


そう、信じてるというか、諦めきれないというか…


子どもより挫折の経験を多く経ている

それが大人なんではないかと思う


そして、増えゆく後悔をぐっと飲み込んで我が人生を進む

これが大人になっていくということなのかなあと思うわけであります



歳を取るたびに弱くなっていく一方ではあるけれど


何年も悩まされ、毎日何時間もかけて耳鼻科に通っていたあの頃

道ゆく人のスマホにも反応してまともに家にも外にも居場所がなかった2年前


それに比べたらやっとここまで回復できたわけで

あの頃はこんな日常が取り戻せるとは思ってなかったわけだから

やはり、あの時死ななくて良かったと今生きているからこそ心から思えるわけです


先のことはまだまだわからないけれど

これからも

大人の階段を登っていけたらなと思う次第であります


来週は年に一度の湯河原

そして野球シーズンが終わったら

音楽活動復帰目指して動いていこうと思います


とりあえず今日はもうお腹いっぱい


ごちそうさま

ありがとう