穴と共に生きる

昨日は福山雅治とデートしている夢を見ました(自慢)

おぐまゆきです


先日、久しぶりにギターを弾きました

以前のように弾いていても具合悪くなることもなく

チューナーを見ても気持ち悪くはなくなりました

ミスタッチだらけでしたけど


とりあえずまだ指の厚さは残っていて安心しました




相変わらず、仕事の行き帰りと

休みの日は公園、デザート探し、図書館

といった具合で


またまた色んな作家や色んな本に出会い感銘を受けていますが

相変わらず欠かさず借りるのは重松清の作品で

借りて読み終えたらブックオフやらで購入する日々です


必ずといっていいほど、一冊につき

辛い時にすがりつきたい一文が載っているので

購入せずにはいられないのです


わたしにとっては聖書のようなもの


その中で、驚いた一冊が

文庫化しての最新刊「ひこばえ」

ハードカバーを図書館で借りて読み

文庫化したら必ず新書ですぐに購入しようと思っていた本

何に驚いたかというと

重松先生の文庫には、【文庫化によせてのあとがき】という

作者自らの本の解説が載っているのですが

今回はその文の抜粋が本の帯に載っていました


【大切な人が亡くなったり遠くに行ってしまったりしたときに、よく「胸にぽっかりと穴が空く」と言われる。

その「穴」を描きたかった。


より正確に言えば、自分の胸に穿たれた「穴」と共に生きていく還暦間近のオヤジのお話を読んでいただきたかった。


それは、50代後半になり、大切な身内や友人を何人か喪ってきた自分自身にとって、最も切実な主題の一つだった。】


というのがその文


わたしも以前、かなり前

還暦間近の親父の心境ではないものの

「穴ぼこ」という、全く同じ主題で描いた曲があったのです。


【だから消さないでね

それはあなたの生きた証】

と、いった詩だったと思います。


その時、親しくしていた人が息子を亡くしたことをずっと苦しんでおり、その人を思い描いた詩だったのですが、その人は何故かずっと、これは自分自身のことを歌ったものだと何度説明してもそう言い張るので、結構人気のあった曲ですが、動画にも音源にも残していません。



「ひこばえ」というのは

切り株から生えた芽のことらしく、

また「ひこ」というのは「孫」という意味らしく

昔は孫の顔を見ることなく亡くなっていった老人が多かったが、それでも孫に途切れることなく、引き継がれていくものがあるという意味だそうです



物語は老人ホームの福祉施設長であるもうすぐ孫が生まれる55歳の主人公の前に、小学二年生の時に離婚して以来会うことのなかった父親が遺骨になって現れることから始まります。


父親の記憶を辿りながらも決して埋まることもなく

また、父親が亡くなる直前に接してきた人たちや

老人ホームの人と触れることにより

自分自身の穴を自覚し、この先をどう生きるかという作品


まさにその年代の相方の方が一層分かる内容ではあるかと思うのですが、

もう既に穴だらけの自分


読んでいてなるほどと思える部分が何度もありました。


歳を取ると「ありがとう」と言う機会だけが増えていき、「ありがとう」と言われる機会が減っていく


悲しさは急性、寂しさは慢性


などなど


因みに19章あるうちの2章で既に泣きました(我ながら容易い)



また

祖母も老人ホームに入っていますが

改めて老人ホームの仕組みや

墓が持てない人たちにはどういう対処方法があるかだののことも学びました。


まだ、早いと思う人もいるでしょうが

うちのリビングにある四人の遺品は

全てわたしより若くして亡くなっている人達のものなんですよ。

だから、まだその歳より一回り下だろうが

漠然としつつもその時に近づいている実感があるのです。



また、重松清は他の本で

自分が死んだ後にどんな作家だったかと語りつがれるかということを考えるということを綴っておられましたが



冒頭の話に戻ると

私はギターは弾けるようになりました。

慢性上咽頭炎も良くなりました。


しかし、最低限、今までのクオリティー

そして、ステージに立っている時だけは強い自分でいられたあの頃の精神力

それが取り戻せた確信出来るまでは一生ステージに立たないつもりです。


といっても、電磁波過敏症に完治はありません。

復帰できるとしても生音は必須。

なので、生ピアノ、更に9弦ギターをバックに

負けない歌声を取り戻さねばならない。

正直、高いハードルです。

しかし、クラッシックなんて

オーケストラをバックに一人で歌うわけですから

無理な話ではないはずです。


ただ、既に穴だらけの自分の身体と心、それを抱えて自分は今後、何を武器に自信を取り戻して生き返るのか。

それは今までの通りにはさすがにいかないので

今後、それを模索していけたらと思います。


少なくとも

自分が死んだ後、

全国旅してたけど、それが祟って病気になって

ベイスターズ狂いの酒癖の悪かった変わったギターを持って歌っていた人


とは語り継がれたくはないなあと…


せめて「弱くなった」は払拭したい


目指すは

自然体でいつまでもかっこいい福山雅治と

自然体でいつまでも可愛い原田知世です。


ハードル高すぎぃ!