カンガルー日和

それは去年、ある日のこと

遠方ながらにちょくちょく気にかけて連絡をくれる私と同い年で読書家のミュージシャン仲間


今、読んでいる本やオススメな本などをやりとりしている中、

彼は苦手な作家を二人あげた


どうも登場人物が鼻につくらしい



一人は私が以前ハマってよく読んでいた作家

今はポチポチ…


もう一人は日本を代表する有名作家

読書しない人でも誰でも名前は知っているだろう

しかし、わたしはその人の本を一冊しか読んだことがなかった

しかも25年前に一度だけ

しかし、本は実家にある

ある人から貰ったのだ



そういえば、あの本はちゃんと実家にあるのだろうか

今となっては大切な本なのだ

なってしまったという方が正しい


本棚を共有している父に聞いてみたが

わからないから自分で探しに来てとのこと


…といっても電車で長距離移動出来ないから

先日やっと相方に車で連れてって行ってもらった

そしたら本棚のど真ん中にあった


みてないじゃないか


わたしは結局、大きな袋に自分の本いっぱいに詰め込んで帰り

売る本、残す本を分けた

残す本はほんの僅か

箱いっぱいに売った本はブックオフで118円


そして、わたしは25年ぶりにその本を読んだ


25年前、わたしは大学に入ってすぐ

横浜西口入り口にあるCD屋で人生初のアルバイトをすることになった


当時は一番CDが売れた頃で、かつ場所柄から

四台のレジが常にフル活動するほどの大忙しの店だった


入ってまず、一番私自身、そして周りを困らせたのが、私が男性と全く口がきけないということだった

中、高、大と女子校だった影響からか

自分でもびっくりするぐらい

男の人の前だと身体が固まった


自分の父親ぐらいの人じゃないと話せなくて

幸いか、その店はそのぐらいの歳の従業員が店長、副店長合わせて5人以上いたのだが

その人達は演歌コーナーだったし

とにかく、周りからみてわたしの様子は異常だった



そして、そんなわたしの指導係になったのが

Mさんだった


Mさんは

わたしより一回りぐらい年上だったが

わたしより背が低く、童顔でもじゃっとした髪に

くしゃっとした笑顔でとても愛嬌ある話方をする人だった



普段は…




しかし、店の防犯装置が誤作動を起こすと

人相が変わり、それが時限爆弾かのごとく

髪を掻き毟りながらがむしゃらになって探し出し、時にはお客さんから乱暴に取り上げ、解除がうまくいかなくて鳴り止まないと、床に叩きつける!

そして、音がやむと、また元の愛嬌ある姿に戻るのである


防犯装置だけでなく、電話もそうで

だれも出られないと

また、鬼の形相となり

「どうして誰も出ないんだ!!!」と喚き散らしてそのままのテンションで電話に出るのだ


当然、わたし初め、バイトに入ったばかりの同い年ぐらいの人たちは衝撃的で怖がった


しかし、前からいるひとたちはいつものことだと

苦笑していた




そんなこんなで働きながらも段々慣れて行って

夏休みに入った


夏休みになると学生も8時間労働となり

そうすると、一時間の食事休憩が設けられる


わたしはMさんと二人で社員食堂に行くように命じられた

目の前が暗くなった

Mさんだって嫌だろう


無言のままエレベーターで食堂のある最上階に向かって

無言のまま蕎麦を食べた


そうすると、いきなり彼は

大きなリュックを取り出してガサゴソとあさり

一冊の本を取り出した

「読書が趣味なんだ」

と言って

「読み終わったからあげるよ」

と差出された


受け取ると

「村上春樹が好きなんだ」と笑顔で言った

表紙には

村上春樹「カンガルー日和」と記されていた


わたしは

「え?くれるんですか????いいんですか??

ありがとうございます!!」

と感嘆の声を出したが

内心では


Mさんが


読書?


村上春樹?

龍じゃなくて春樹??


しかもカンガルー日和???


と、脳内パニックを起こしていた



しかも、村上龍なら高校の時、何冊か読んだが(因みに苦手だ)

村上春樹はなんとなくインテリ大人が読むものというイメージがあって

一度も読んだこともなく

かといって、自分が好きな作家を語るような度胸もなく

結局、そのまま盛り上がることなく昼休みは終わった



本は読んだ

ちゃんと読んだ

ショートショートだった


ちゃんと読んだと報告もしたと思う

しかし、内容は思い出せない



そして

それからもMさんの印象が変わることはなかった


レジ裏の戸棚に頭をぶつけると

凄い形相でカンナを持って現れ削り出したり


髪の色を紫にしたことを店長に咎められると翌日、丸坊主になって現れたり


でも、普段はいい人…というか悪い人ではない

だから嫌いではない

でも怖い


そうこうしているうちに

彼は本店のLM売場に移動となった

わたしは内心、ホッとしてしまった


嫌いではない


しかし、わたしも大学を卒業と共にそのまま社員となり

本店に移動となった



彼がいるのは一階

わたしは二階の楽譜売場


だから、滅多に顔を合わせることはないものの

たまに 合わせる顔はやはり人相の変わったそれだった


店には各売場直通の電話番号がなく

取った人が内容を聞き

その売場に内線で回し

五回ぐらいならして相手がとれない場合は

電話番号を聞いてメモを渡して掛け直してもらうのがマニュアルだった


しかし、ある日

内線がもうかれこれ10分以上鳴り響いている

しかし、誰もが接客に対応していて出られない

というか、手が空いたとしてもこわくて出られない…


やっとみんな手が空いたと同時に内線は切れて

その代わり、どすどすと音を立てて

Mさんが現れ

「どうして出ないんだよ!!!!」

と怒鳴って降りていった


わたしの隣にいた先輩は

「ほんと、あの人嫌いだわ」

と呟き

もう一人は

「こないだは30分だったのよ」と

苦笑した


わたしは…嫌いじゃないけど

怖かった

しかし、あの時と怖いの種類が変わっていった



また、ある時、店が大雨により潅水するという事件があった

外をみるとどんどん水嵩が増えていって店の地下は沈んでいた


一階のLM売場の人達は一生懸命エレキギターやベースなどを二階に運んでいた

しかし、Mさんの姿が見えない


すると、窓から外の様子を眺めていた人が

「あれ?Mさんじゃない?」と言った


見てみると、確かにMさんが腰まで水に浸かりながら歩いている


「どうして???」

「どこにいくの???」

みんな呆れ顔で時に囃し立てながらその姿を眺めていた


助けを呼びにいったのだろうか

でも、水浸しの道を誰にどこへ????


わたしはその時どうしていただろう

多分、周りと同じように呆れ顔で笑っていた



以前、CD屋で一緒だった上司の中で

心配していた人もいた


精神科を進めたらしいが、薬で性格が変わるのが嫌だといって断ったらしい

そして、休日はどこまでもとめどなく走ってしまうということを言っていたという


わたしはその時、自分のことで精一杯だった

わたしも病んでいた

仕事に自信を失っていき、子どもを作らないと宣言され将来に何を目標にしたらいいのかわからなくなり

結局、製菓の勉強をして

その道に進むといって会社を辞めた



そして、

更に新しい世界の壁にぶち当たって一番病んでいる状態の時に親友が精神病院入院中に自殺した


それからしばらくして

Mさんが結局長期休暇を取って精神病院に入院し、退院した三日後、連絡が取れなく心配になった兄妹が自宅で首をつっているのをみつけた


だから、わたしは精神科が大嫌いだ



彼は異常だった

ずっと前から

出会った時から

でも、誰もわたしも

いつものことだと流していた

笑ってネタにすらしていた


ただ、彼の死すらもジョークにして笑を取ろうとした先輩は軽蔑した


性格じゃなかった

普段は理論的で知的で親切な人だったのだ


わたしが何が出来たということはない

ただ、笑わないでいる事は出来たよなと思う


自分だって同じだったじゃないか






25年ぶりに読んだ村上春樹

「カンガルー日和」

ちょっと前に「ノルウェーの森」も今更ながらに読んだ


カンガルー日和は32話からなるショートショートで

わたしの想像とは全然違って

友だちの言うように

登場人物は確かに鼻につく

理屈っぽくて皮肉屋で

時に残酷で冷静で

小学生の時に初めて買って今でも手元にある星新一の「さまざまな迷路」を彷彿させたがそれよりはおしゃれで…


彼は何を思いこの本を読んだのだろう

村上春樹の世界のどういうところに惹かれたのだろう



わたしは

相方と本の趣味が合わないと言ったが

それでも、面白くないなあとおもいながら

その作家の本を何冊か最後まで読む


他にもその読書家の友人に紹介された本も片っ端から読んでみて

その中で、あまりしっくりこなくても同じ作家の本を何冊かは最後まで読んでみる


その人の心を震わせた人生の一部だと思うから


本でも、CDでも、絵画でも


その人のうけた感動を自分の中に少しでも取り込みたいと思う


多分、いや確実かもしれない

わたしが、そして相手が死んだ時


それが相手に伝わらず、突然なくなってしまう可能性が充分にあるからだ


その例をわたしは身近でみている


だから、わたしの好きな本も出来れば誰かの心に残ってほしいと思った


わたしが相方に「その日のまえに」を読んでほしいと思ったのは

私たちにはこういう未来は来ないから

せめて本の中でもそういう気持ちを共有したいと思ったのだ

本当の意味では「きみの友だち」の方があっているのだが


読書家の友だちは

わたしの紹介した

重松清「十字架」奥田英朗「オリンピックの身代金」の感想を丁寧に送ってくれ

わたしは彼の紹介してくれた平野啓一郎を気に入って何冊も読んでいる


また、ある友人はせなえつこの「おばけの天ぷら」を紹介してくれて

奥田英朗の「最悪」の感想を長々と興奮気味に伝えてくれた


相方は私に合う本を見つけ出してくれるだろうか

合わなくてもいい

わたしは最後まで読む


そして、また

あまり好きじゃないなあと思った

村上春樹も読むだろう



わたしにとって作品とはそういうもの