祈り

今年もよろしくお願いします


年末に読んだ

「マチネの終わりに」平野啓一郎に出てくる言葉

「私には信仰がないから父と母に祈った」

その言葉が頭から離れず

大晦日は、太宰治の「晩年」を読み直しながら

さて、明日の初詣はどうしようと思った


慢性上咽頭炎にかかってから

「まともに歌えるようになりますように」と毎年祈った

去年は電磁波過敏症になってステージすら立てなくなり

「もう全てを終えてほしい」と祈った


元旦だけではない

鳥居を通り過ぎる度に何度も祈った


しかし、一度も受け入れられることはなかった


で、今年は何を祈ればいいのか

もう、叶えられないことはわかっているのに



翌日元旦

我が家は10年以上前から別々に過ごしている

うちの人は早朝から

「フィガロの結婚」の序曲を大音量で流してから

大雄山へとバイクで出かけて行った


わたしはお雑煮を作って食べてから相方がお出迎え

混む前にと赤レンガ倉庫へ行き昼ご飯へ




出たら行列が出来ていた

タイミングばっちり


それから

相方が見つけてきた

また小さい鳥居でお参り

賽銭箱すらなかったのでお供え物の近くに小銭を置く

しばらく考えて

「もしあなたに出来るならば、わたしの命を大切な人達に分けてほしい」と願った


翌日から淡々と仕事始め


そして、今日は10年ぶりに

義母に会いに行った

来週で97歳を迎える

誕生日プレゼントにソンバーユとお手紙を渡した


長男夫婦と住んでいるが

自分のことは全て自分でやっているらしい

杖も持たず急な階段を上がって

お茶を出してくれて

しっかりとした口調で話す

記憶力は落ちているらしいが

病院や買い物も一人でしっかり歩いて行き

夜はトイレで起きることもないらしい

わたしより余程健康だ


それでも義母はしきりに言う

「もう生きたくない」

知っている人はみんな死んでしまった

それか施設か

生きていてもつまらない

なんで私だけが何もないんだ

病院に行っても異常なしと告げられる

それが辛いという


わたしはそれが疎ましいとは思わなかった


義母はうちの人の最愛の人だ

それは結婚前から言われていた

三男坊だが結婚寸前まで実家で暮らし

義父はその頃まだ生きていたのに

義母が心配だから毎日会いに行きたい

毎日自分に夕飯をつくるのを楽しみにしている

と何度も言われ


今でもしょっちゅう電話をしている


わたしが元旦のお参りに一緒に行く事を拒否されてから義母と一緒に行っていたことはショックではあったが

それで義母を妬んだりすることは一度もなかった

出来るはずがない


自分の祖母より一回り以上年上で

そのうえ優しい


10年以上顔も出さなかったのに毎年お小遣い

去年は誕生日までくれた義母


わたしは手紙に書いたのだ

お義母さんの健やかさは尊敬に値し

また、そのおかげでわたしの主人がその血を受け継ぎ健康であることに感謝する


あなたはわたしの主人の永遠の最愛の人だ

どうか生き続けてほしいと…


その願いは残酷だったのかもしれない


でも、わたしは心から思うのだ

自分を一番愛してくれている人がいるということがどれだけ幸せなのかということは

そういう人がいる限り

どうか生き続けていてほしい


きっと貴方は神様に選ばれた人なのだから


元旦に

ライブハウスから年賀状がきていた

手書きで「今年もよろしくお願いします」と

わざわざ書いてあった

今年はもう来ないと思っていた

とても嬉しかった


わたしはまだミュージシャンでいられる

そう思ってくれている人がいる限り


今年もよろしくお願いします




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コメント: 2
  • #1

    黒田嗣雄 (水曜日, 04 1月 2023 21:29)

    貴女はまだミュージシャンです。
    オレがおぐまゆきの復活を信じ、また写真を撮らせて頂くことを願っている限り、
    貴女はミュージシャンです。

  • #2

    おぐまゆき (木曜日, 05 1月 2023 17:06)

    黒田さんへ

    コメントありがとうございます
    わたしも、また黒田さんに写真を撮ってもらって
    今の一番新しいアーティスト写真を更新してもらいたいと願っています。
    どうか待っていてください。