晩年を生きる

年を重ねた

電磁波過敏症という奇病を患って

もうすぐ一年


季節が一巡した


何度も死にたいと思い

何度も生きなければと思った一年だった


生きたいではなく生きなければ


メディアもネットもわたしの生活からなくなり

自分にとって本当に大事なもの、人だけが残った


そんな気がする


仕事を無事終え、家に着いて

アーシングマットの上に辿りついたら

その一日は合格

あとは食事を作り、最低限の掃除をして

空いている時間の全てを読書に費やし

時々、チャンスを嗅ぎ付けてベイスターズの試合を覗きに行く


好きな音楽は勝手に脳内に回るし

自分にとって大事な言葉は勝手に残る


大事な人はちゃんと私のことを忘れずにいてくれて連絡をくれる


自分自身、常に晩年を生きてきたつもりだ

だから、あんな無茶苦茶なスケジュールでここまでやってきて

この有様ではあるけれど


元々わたしにそこまでの意思はない


わたしが生きていて欲しいと望んでくれる人がいればその人のために生き延びる


それは歌も同じで

誰かがまたわたしに歌う事を望んでくれて、

尚且つ、それに応えられる歌が歌えるまで

わたしはまだ歌えない


ギターは時々弾く



それでもうっすらと

その時までにこの身体でも充分に出来る

復帰ライブをいつかやりたいと思っている


本当に会いたい人を集めて

電気がなくても鍵盤が弾けて、声も通る場所を一つだけ知っている


実現できたらいいなと思う

絶対にとは言えないけれど


今は生きていくだけでまだ精一杯


一ヶ月で20冊は読む本の中

特別助けられた本を年末にはあげられたらなとも思うし


まだ生きていく理由は十分に残されているはず


たくさんの本を読んだけど


わたしの生き方は

中学生の時に読んだ

太宰治「晩年」の「葉」の

冒頭部分


これは変わらない


死のうと思っていたけど

麻の生地の着物をもらったから

夏までには生きていよう


そんな言葉だ


因みに今読んでいる本は

初心に返って夏目漱石の「こころ」


そんなことはどうでもいい


この一年

沢山の人に支えられた


ありがとう

本当にありがとう