十字架

昨日は中央図書館に行き

結局8冊の本を借りるとこになった


うちのすぐ近くにある図書館とはやはり規模が違う


主に御紹介いただいた本

長野まゆみ

中村文則

町屋良平

筒井康隆

東海林さだお


そして、お気に入りの奥田英朗の分厚い本二作品



一昨日まで読んでいた本の記憶を彷徨いながら



前回のブログ

中学生の自殺が題材の本を二作品比較して書いた

宮部みゆきの「ソロモンの偽証」

奥田英朗の「沈黙の町で」


そのとき、もう一冊借りた本があった

そして、最後に読もうと決めていた


重松清の「十字架」である


これも中学生が自殺してしまう話である


きっと、私はこの本で心臓ごとえぐられるであろう覚悟があった


そして、この本を読み終えたとき

わたしは立ち上がれないまま

突っ伏したまましばらく涙が止まらなかった


泣きすぎで頭が痛くなった


…あの時言われたように…



わたしに

中学時代にいじめにあって自殺にあった友だちなどいない


平和とは言い難かったが、決してそういうことはなかった


しかし、この本にはわたしが目の辺りにしたことと

まったく同じ光景があった



この話の主人公は

自殺した子の遺書に

全く身に覚えがないのに「親友」として書かれて感謝の言葉を述べられていた


その子の母親には最後まで仲良くしてくれてありがとうと、とても感謝されるが

父親と 弟には何故見殺しにしたと恨まれる


主人公とわたしの立場も全く違う



わたしの親友は

クラスぐるみの壮絶ないじめにあっていたわけでもなく、亡くなったのは7年前


その子とは全く違う


しかし、愛する我が子が自ら命を絶って死んでしまった


その両親の姿は

その物語の両親、特に母親の姿がわたしの中で重なってしまった


ずっとずっと彼女の思い出を話すおばさん

そして、わたしたち友だちをとても大切にしてくれた


その傍らでずっと黙っているおじさん


頭が痛いと訴えるわたしに

泣きすぎると頭が痛くなるんだよと教えてくれた二番目のお兄さん


あの日のことが次々と蘇る


本では

「うちの子の代わりに幸せになってください」というのは嘘だという言葉が出てくるが


あの日、おばさんがいったその言葉は

決して10割とはいかなくても8割以上は本心だったと思う


友達作りスタートダッシュに失敗したわたしに彼女から話しかけられた12歳の時から18の高校の卒業式の謝恩会を抜け出して映画を観に行った思い出まで常に彼女と一緒だった

どの行事にも全て登場するのは彼女しかいない

大学の バイト先にもちょくちょく現れ

そのまま就職して横浜の奥地にある楽器屋に異動しても彼女はちょくちょく現れた


彼女の姿が様変わりする半年までの間、本当にちょくちょくやって来た


最後に来たのが結婚式で歌う歌を探しに来たとき

フィアンセと一緒に


そのあときた連絡は結婚式ではなかった


あの時、おばさんは

「ゆきちゃんから買った電子ピアノ、ものすごく大切にしてたの、絶対触らないで!って言われたの

だから、ずっとこれからも大切にするから」とあの日わたしは言われた

それまで、すっかり忘れていた

最近買いに来ていたのは習い始めたビオラの弦やら楽譜だったから

そうか、最初に買いに来たのは電子ピアノだったなとまだぼんやりした頭で思い出した


それからおじさんとおばさんとは二回会った

墓参りで偶然出会い、帰りに送ってもらった


おばさんはある人にとても怒りを抱いていてずっと話していて、傍らでおじさんはずっと黙って聞いていた


それから、数年後、近くでたまたまライブがあったので寄ったら

「ゆきちゃんから買った電子ピアノ、今はお兄ちゃんの娘が弾いてるの!」と教えてくれたあと

生きていたら絶対聴きに言ったのに…

と寂しく呟いた


わたしもそう思っている

絶対に来てくれたと


そして、申し訳ないぐらいの沢山のお土産を持たせてくれた



おばさんの娘への愛情の深さは

わたしの母も目にしている


とある日のPTA会議で

その 頃、運動靴が頻繁に盗まれる事態が多発していた


その時、おばさんは娘の受けた被害を必死に訴えていたと

帰って来た母は言った

少し過保護なんじゃないかと思ったとも


しかし、今では

その親友の話が出るたびに

あの時のおばさんの姿が蘇ると…


わたしは見たのよ、あの人が、どれだけあの子を愛してたかを…守ろうとしてたかを…



だから、わたしがこの病気になってから

どんな用事があろうと少しでも不安を漏らすと

飛んでくるようになった


LINEでも

わたしが弱音を吐けば、力強い言葉と可愛らしいスタンプがいっぱい飛んでくる


しかし、ある時

そのLINEの直後

父から連絡があった

わたしが心配で

母が目眩を起こし吐いていると…



正直、慢性上咽頭炎の手術も意味がなかったうえに

電磁波過敏症にまでなってから

死ぬことが頭から離れたことはなかった


弟には両親を頼むと遺書めいたことまで送った


去年は彼女の墓にすがった

もういい加減連れて行ってくれと


しかし、彼女はまだわたしを迎えてはくれない

それどころか、またわたしを遠ざける


あの日の おばさんの言葉と

母を思い


わたしはもう何者としてこのブログを書いているのかも わからないのだけれど

わたしはまだ生きていかなくてはいけない


そのために

また次の本を読む