告白

先日、清原和博の「告白」という本を図書館で借りて読んで、あまりに自分と重なる部分があり

泣けてきた



清原和博


わたしと同じ世代だったら野球を知らない人でもその名前は知っているだろう


コロコロコミックスの

「かっとばせキヨハラくん」の清原くんだ


わたしは野球ファンではない

横浜大洋ホエールズ及び横浜DeNAベイスターズのファンなので

これまでもどんなすごい選手も

凄いなあとは思っても横浜の選手じゃなきゃ応援はしない


今年も大谷より筒香をひたすら気にかけていたし



そんなわたしが

じゃあ、歴代の選手で誰が一番すごい選手か?ときかれたら

わたしは清原和博と答える


あの頃の西武ライオンズは黄金期で

弱くて地味なホエールズとは対照的に


清原以外にも

ホームラン打つたびにバック転する秋山

サイボーグのようなメガネかけた外人デストラーデ

八重歯がかわいい潮崎と

まさに花形だった


特に

入りたかった巨人に親友の桑田が入り

自分が選ばれなくて涙を流していた清原は

特に応援していた


それが

ちょっと野球を見ないうちに

いつの間にかあれだけ憎んでいた巨人にFAし

なんだか番長キャラになり

長渕か清原か区別がつかないと言われ


引退し

それからしばらくして覚せい剤で捕まった



なにがあったのか


その内容がこの書籍には書かれていた






晩年、膝の怪我で苦しみながら

どうしてもあと一本ホームランを打ちたくて

痛みに耐えながら現役を続けた清原


幼い子どもにホームランを打つ姿をみせてあげたくて


でも、結局その夢叶わず


野球を引退して

どこにもコーチとしてよばれないまま

テレビでは番長キャラを強いられて


生活は乱れ

家族に逃げられ

自分から逃げるように覚せい剤に手を出した清原は


今は

覚醒剤依存とうつ病と糖尿病と戦いながら

生きていて


その姿をツイッターでいつもわたしは追っていた

あと一本ホームランを打ちたくて…


じゃないけど


わたしは

去年姫路で慢性上咽頭炎の手術を受けて

先生の三ヶ月で傷が塞がって、あとの三ヶ月で中が治ってきて半年ぐらいで症状が収まるという説明を期待し

この一年を過ごしてきた


しかし、オンライン受診を受けるたびに

あと三ヶ月またあと三ヶ月


いつまで経ってもあと三ヶ月

治療はいらないという先生に


地元のいつもはおとなしい先生が

どうしても気になる箇所があると言ってくれて

一年ぐらい経ってやっと

そこを治療してくれるようになった


そして、先日のオンライン受診で

今更ながらに古くて年季の入った肉芽がある

それが治らないと症状は消えないと言われた


うん、それを削ってもらうために手術に行ったんだよ


そう思いながらももう、なんにも言う気は起きなかった


それに加えて電磁波過敏症になってしまったわたしには

もうステージなんか立てない



これまで、いろんな人から励ましの言葉をもらうたびに

「また、必ず参りますから」

「また、必ず共演しましょう」

と答えてきた


しかし、本当は

そんなこともう無理だと思っていた


体力もお金も

もう治療で使い果てていた


更に今回の電磁波過敏症の治療やグッズで

毎月、給料の二倍ぐらいの引き落としがある


幸い、随分と回復はしたが


また再度歌えるとして

マイクの前に立てるのか

電気を繋げたギターをひけるのか

音響に耐えられるのか


その前に

先日ギターを久しぶりにひいたらめちゃくちゃ下手くそになっていた

左の指先も柔らかくなっていく

発声だってろくにしていない


もう正直、以前のように活動するのは無理だと思っている


それは相方にも前から言っている


実際、今年二回

どちらも自分としてまともなライブができなかった


わたしは

あと一回

あと一回でいいから

自信もって堂々とみんなの前で歌いたい


あと一回でいいから

そのために治療を続行していた


あと、母に

元気になったら叶えてもらいたいことがあると言われたことがあり

それも叶えられたらと思う


清原が言っていた


死にたくなるんですよ

けど

親もいるし子どももいて…

友人が死んで、親にあんな思いさせたくないなって…


わたしも全く同じであった

もう、自分のためにやりたいことはない

二年前、わたしは40歳で人生が終わらせるつもりでいたと書いた


それからも

まだ一踏ん張りと思いながら

二年生きてきたけど

わたしはまだあの時の気持ちのままなのかもしれない